HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説 村井邦彦編

 「HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説 村井邦彦編」、というDVDをみました。いろいろやりながら音だけきいている感じだったけど。元はBSフジで2005年にやっていたドキュメンタリ番組らしいです。みた内容を忘れてしまわないようにメモしておきますね。

■村井さんは高校時代、中村吉右衛門(Ba)・松本幸四郎(Dr)とピアノトリオをやっていた。
■ライトミュージックソサエティ時代の鈴木邦彦の写真がすごい美少年。(メモ者感想)
■「雨上がりのサンバ/森山良子」は、村井さんが山上路夫と表参道のコロンバンでコーヒーを飲んで外に出たら、ちょうど雨上がりですごく綺麗だったので、こういう曲にした。山上・村井コンビの最初の曲。村井さんは実はストリングスのアレンジは初めてだった。

いい曲ですぬ。
■村井さんがGSに初めて提供したのはスパイダース。ムッシュ談「スパイダースが銀座のアシベとかでやっていたとき、学生の村井さんがあそびに来てピアノを弾いたりしていたので、村井さんが作・編曲者として入ってきたとき、何も違和感はなかった。むしろ浜口庫之助さんの『夕陽が泣いている』を歌うことになったときのほうが違和感があった」。タイガースに関して岸部さん談も。村井さんは「タイガーズ」と発音していた。
■トワ・エ・モアの1stアルバムは3週間で12曲を制作(作詞・作曲)した。
翼をください」(赤い鳥)は詞が先で村井さんが曲を付けたら、あまりに良い曲で詞が曲に合っていないと山上さんは思い、苦心して3日で詞を書き直した。
■「学生街の喫茶店」はGAROにGSのやりかたを適用して(作家を付けて)ヒットさせた。
YMOについて細野さん談「最初に英語で“I can do anything for you.”と言われて、何をやるかわからないままアルファと契約してしまい、給料をもらってしまったので、無理矢理ひねり出したのがYMOのコンセプト」

ユーミンについて
【村井さん談】
 「愛は突然に…」(加橋かつみ)が良い曲だったので、アルファ・ミュージックの専属作家に誘った。最初は遠慮されたが、しばらくしてから契約した。「ひこうき雲」を雪村いづみでレコーディングしたりしたが、どうもしっくり来なかったので本人のレコードをつくることになった。
 アルファ・ミュージックは、スクリーン・ジェムズ・コロンビア(コロンビア映画の子会社の音楽出版社)の日本のレプリゼンタ(代理店)をやっていたので、(村井さんは)キャロル・キングの『タペストリ』以降のアルバムのレコーディングに結構立ち会った。ヘッド・アレンジ(スタジオでみんなでアレンジしていく)に魅了されて、『ひこうき雲』は細野さんにそういう風にやってもらった。
 ヤナセと合弁でレコーディングスタジオをつくることになって、72年に最新鋭のスタジオをつくった。マルチトラックで、スタジオ内での鳴りにも配慮した。そこで1年掛かりで『ひこうき雲』をつくった。
【元アルファ・レコード ディレクター 有賀恒夫氏談】
 コーラスは山下達郎ボイシング&ヘッドアレンジ。大貫妙子をマイクの最前にして、吉田美奈子をこれ以上下がれないくらいうしろにして録音するとちょうどいいブレンドになる声量だった。
 「スカイレストラン」(Hi-Fi Setのレコーディング時、「出がけには髪を洗った」という歌詞について、男性陣と山本潤子で解釈が分かれて揉めたため、有賀さんがユーミンに電話してきいたら、山本潤子が合っていた。

 誰にとってもどうでもいいことですが、わたしこの有賀さん知っている……。会ったことある。どこで会ったのか思い出せない……。

■特典映像「ムッシュかまやつ井上堯之SPECIAL TALK
マー坊(ゴールデンカップス加部正義)カップスのツアーで北海道へ行ったとき寒いといって帰ってしまい、テレビ局のロビーで自分のいないカップスの生放送を観ていた。イギリスが寒いといって帰ったボブマーリーより先輩」「ビートルズの前座を断ったのは、御本家だったから。ハニカムズとかサーファーリズとかには負けないと思っていた」「ムッシュは堯之さんがPYGに入ったことがとてもくやしかった」etc.
たのしいお話がいっぱいでしたよ。堯之さんは「スパイダーズ」「ハニカムス」「サファーリス」と発音していました。