苗場に行ってきたのですが(SURF & SNOW 2015)

YUMING SURF & SNOW in Naeba 2015

 先日、初めて冬の苗場に行ってきました。もう4か月前になるんですけれども。初めて行ってきたとかモグリにもほどがありますけれども。
 まあなんにつけ感想を書くために観ているわけではないのでいいんですけど、ずっと感想書けなかったんです。自分にとって衝撃が大きすぎて。ステージの内容が衝撃的だったという意味ではないです。個人の体験として。

 たまたま、真ん中のブロックの2列目とかいう席だったんです。そのことに当日くらいまで気がついてなくて。苗場着いてからも、まあ2列目とかいってもあいだにPAとかスタッフ通路とかあるんでしょ、とか思っていたんですけど。ホール行ってみたらほんとにステージさわれそうな2列目で。学校の講堂みたいなパイプ椅子で。そこから世界線が歪んできてしまってw。


 例えば喫茶店で座っていたら、ドアを押して誰かが入ってきた、みたいな感じで、そこにいるの、由実さんが。佇まいでどういう人かほとんど伝わってしまうくらいの距離に、女の人がいるんです。もちろんいつものすごくアーティフィシャルな衣装で、ある瞬間は完璧にからくり人形のように、アイコンのように見えるんだけど、あまりに近いからある瞬間は人間のようにも見ることができて。アラが見えたとかいうことではないです。隙とかはもう全然なかった。ものすごく冷静で丁寧で正確だった。その冷静な由実さんがそこにいる、ということにすごく打たれてしまって。
 自分に由実さんが見えているのと同時に、由実さんからも自分が見えている、と感じられて。キャーとか手を振るみたいな気持ちに全然ならなかった。もうすべてわかられている、と思えてしまって。意識過剰かもしれないけど、どういう奴がきょう観にきたか、わたしなんかが人を見るのより正確に、由実さんは把握したはずだと思う。
 単純に、自分の中で概念みたいな、神様みたいなものだった人の生身に会った、そのことにすごく衝撃を受けてしまった。人間として感じられる距離で観るって、ただ観覧して受け取っていればいいみたいなものではありませんでした。


 アラというか、素を決して見せなかった。前方の客からはキャー!とかユーミーン!とかたくさん声が掛かっていたけど、どれにも明確に反応することはなかったと思う。こちらを見ていたとは思うけど、目が合ったりすることもなかった。さみしいとは思わなかった。思えなかった。声援が、結構こわくて。無邪気な嬌声も、ものすごく自分が乗っかっている熱視線も、こわいと思った。まともに受けていたらとても正気で生きてはいけないだろうと思った。
 自分を決して出さないから、あんなに闇雲な愛を仮託されることができるんだと思った。自分を消すから、音、光、コリオグラフが普遍的な美しさをつくった瞬間、ユーミンが巫女に見える。いつかどこかで見た光景に見える。ユーミンのツアーメンバーは、なんでこんなに毒にも薬にもならないプレイヤーを集めているんだろうと自分は思っていたところがあったけど、そのことの効果を初めて実感した。すごいプレイとか人の個性とかをきれいに消すことによって、曲そのものの揺るぎなさが浮き彫りになるのだった。

 普段アイドルとか、ロックフェスでバンドとか、属人的なパフォーマンスを見所にしているステージばかり観ているものだから、すごく鮮烈な経験だった。ユーミンのファンはしあわせだとも思った。勘違いのすべてを正解と認める方針をはっきり打ち出してくれているのだから。
 由実さんは、常にものすごく個人的なことをひたすら緻密に歌にしているシンガーソングライターだと自分は思っているのだけど、多くのファンは、まるで自分のための歌を解明不能な超技術でどんどん生み出してくれる4次元ポケットみたいに思っているようで、また由実さんもそのような存在であることを引き受けて、みんなにドラえもんのような笑顔を返してくれている。


 セットリストとかはメモらなかったし、もうはっきりとは憶えていない。「もう愛は始まらない」が一番良かった、と思った。わたしが観たのは2月13日でした。由実さんのアクトについては衰えたとか、期待外れだとかそういうことは全く思わなかった。むしろ映像で知っているとても昔のユーミンを思い出して、すごい!ユーミン昔のまんまだよ!と思った。バックのミュージシャンはみんな細やかで技術があって職人のような佇まいで、変な話知り合いみたいに見えてきたw。結構まじまじとバックも見つめてしまって、妙な客だったかもしれない。
 冬の苗プリはとにかくたのしかった。目の前が一面のスキー場で、フードコートがあって、温泉があって、子供のプレイグラウンドもあって、ホテル内のすべてのお店が開いていて、ふざけ合う若者の集団が行き交っていて。スキー靴のまんまでアメリカンドッグを食べられる一方で、ホテルのレストランは落ち着けてちゃんと美味しくて。若かりし日のユーミンがここでコンサートやりたい!と思った気持ちがわかった気がした。静まり返った夜の廊下からは、本物のブリザードも見ることができた。


 不思議なことに、苗場から帰ってきてから、すべてのユーミンソングが由実さんの実話にきこえて、胸を締めつけられるようになった。わたし自身、ユーミンはプロの作家だから、自分の経験や考えから離れて、多くの人々の共感を呼ぶ歌を創作できるのだ、と長年思ってきた。もちろんそういう面はある。けれど、実物の由実さんを目の前にしてから、全く別のきこえかたもするようになってきた。

 もしかしたら、コアなファンにとってはものすごく当たり前のことをいまさら文章にしているのかもしれない。けれどわたしはたまたま、数十年ユーミンのファンとして暮らしていて、万能なポップス製造マシーンではなく、一人の作家としてのユーミン、トータルの人間としての松任谷由実についての、まともな文章というものをほとんど読んだことがない。ユーミンについて書いている文章は、アホほど世にあふれているのにもかかわらずです。

 そして最近、はっと思い至った。こんな状況、そういつまでも続かない。由実さん本人は70まではステージやりたいと言っていたと思ったけれど、それ自体あと10年なく、それまでには何があるかわからない。同世代のミュージシャンも次々亡くなったり、ガンになったりし始めている。
 由実さんが亡くなったり、引退したりしてから、わかった風でこんな人だったというような話をするのはいやだと思った。というか、そんなに簡単にできる話ではない。いまからし始めて、間に合うかどうかというスケールの話だと思う。
 わたしはなぜいままで、由実さんの話をしてこなかったか(まあ、ちょこちょこはしたかもしれないですが)。それは、どこかで由実さんに会うかもしれないと思っていたからですw。どこかで会ったときに、ファンとして憶えられてしまったら、ファンとしての関係性になってしまうななどとアホなことを考えていたからです。けれどいま、それでいいなと思う。わたしはユーミンのファンとして、ユーミンのそれまでされなかった評価を、きちんとした人、そういう人になろうと、いま思う。定期的に、広く届けるつもりで、ユーミンの話をしていこうと、思いました。